ハワイが誇る伝統文化
「フラ」の起源と歴史を詳しく解説!
フラ(Hula)とは、ハワイで昔から伝統的に行われている歌舞音曲です。
テレビや映画などのメディアを通して、日本国内でもとてもポピュラーな踊りですよね。
世間一般的には「フラダンス」という名称の方が一般的ですが、フラ自体が本来ハワイ語で「踊り」を意味する言葉ですので、私たちは「フラ」と呼んでいます。
フラにはとても楽しく平和なイメージがあると思いますが、実は大変な歴史をたどってきたことをご存知でしょうか?
今回はフラの起源とその歴史ついて詳しくご紹介します。
目次
フラの起源
フラ発祥の地は、ハワイやタヒチなどさまざまな説があり、まだはっきりしたルーツは判明していません。
ハワイに住む人々は、昔から自然の神々への信仰心を持って生活していました。
当時のハワイには「文字」という文化がありませんでした。
そこで神々への信仰の表現や、歴史を後世に伝えるための手段として「踊り」が広がったのがフラの起源であるといわれています。
当時のフラは、現在のような楽器を使ったメロディアスな音楽ではなく、太鼓の音やチャント(詠唱)とともに踊る「パントマイム」に近いものだったといわれています。
「楽しく美しい踊り」というイメージの強いフラですが、この逸話からもわかるとおり、元々は神への信仰を表現するための宗教儀式だったのです。
フラの歴史
自然とともに暮らしていたハワイに、西洋の波が初めて訪れたのは1779年のことです。
当時産業革命によって世界的な勢力を伸ばしていたイギリスのジェームズ・クック船長率いる船団が、ハワイのカウアイ島に初めて上陸しました。
このことがきっかけで、ハワイは西洋諸国の貿易の拠点となり、西洋との関わりが生まれることになります。
その過程で、元々多部族からなっていたハワイは統一化が進み「ハワイ王朝」が誕生します。
1810年に初めてハワイを統一し「ハワイ王朝」を建国したのが「カメハメハ大王」です。
余談ですが、かの有名な童謡「ハメハメハ大王」にでてくるのは、このカメハメハ大王の「友達」という設定だそうです。
ハワイ王朝が建国してまもなく、アメリカからキリスト教の宣教師がやってきます。
宣教師は、自然の神々を崇拝するフラを危険な宗教であると考え、当時の女王を説得することで「フラ禁止令」を出します。
それ以来、フラを踊ることはハワイ中で禁止されることになります。
そんな状況が50年以上続いた後、フラを復興させる王様が出現します。
それが、ハワイ王国第7代目君主「デイヴィッド・カラカウア王」です。
彼は「陽気な王様(メリー・モナーク)」の愛称で国民から愛され、自身の即位式の時もフラを披露したという逸話が残されています。
同じ時期に、クラシック音楽やピアノなどの楽器が西洋から輸入され、当時の王族を中心に西洋音楽の文化が広がっていきます。
この時、伝統的なフラと西洋的な音楽融合した新しい形式である「ハワイアン・ミュージック」が生まれました。
現在「フラダンス」としてイメージする音楽や踊りの形式は、この時代に作られたといわれています。
しかしアメリカ人勢力の圧力によって、1895年にハワイ王朝は滅亡。
1898年に米自治領ハワイ準州となり、アメリカに併合されます。
それ以来、ハワイの原住民の人々はアメリカの支配に置かれ、フラも一部の人々だけが行う文化となっていきます。
フラの復活
それから時は流れ1960年代に入り、アメリカで公民権運動が起こります。
アフリカ系アメリカ人が自分たちのルーツを強く意識し、人種差別撤退と平和を求めたこの運動は、ハワイの人々に大きな影響を与えました。
その流れを受け、1970年代にハワイで「ハワイアン・ルネッサンス運動」が起こります。
これは、アメリカの支配によって失われたハワイ人としての伝統や文化、そして誇りを取り戻すための運動でした。
その時、ハワイの人々が自分たちの最も大切な伝統文化として意識を向けたのが、他ならぬ「フラ」だったのです。
この運動がきっかけでフラの文化は復活し、今ではさまざまな映画やメディアでも取り上げられるなど、世界的に知られる文化となりました。
「平和」や「楽しい踊り」のイメージが強いフラですが、実はその裏には宗教的な理由による禁止や、アメリカの支配による衰退など、大変な歴史があったことがおわかりいただけたでしょうか?
フラを踊る時、そんな歴史や背景に少し思いを馳せることで、より深くハワイの文化を理解してみましょう。